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土田ヒロミのニッポン

あるとき友人がふと言葉した
「自分の群れをつくりたい」
という声を、突如として思い出すことがあります。
「自分の群れ」 という言い回しに、動物的な集団性や縄張り意識などを超えた
なにか特殊な響きを感じました。

人はどうして群がるのか?
砂粒
Nikon U2 AF NIKKOR 70-300㎜

群集、行列を見ると そこに群がりたくなる心理は 何なのか?
海老蔵襲名披露

かねてからの疑問を胸に、
土田ヒロミのニッポン」 をめざして、東京都写真美術館へ。

迎えてくれたのは、どーん!
ポスター
NikonD50 Nikon AF NIKKOR 28-80㎜

まつり」 の鬼のポスターがお迎え。赤と白、日本国旗を髣髴しました。

日本の土俗的文化、ヒロシマ、高度気経済成長、バブル経済などを通し、
日本の姿を撮り続けている土田ヒロミ氏。
(ヒロミというお名前は、よく女性に間違われるそうです)
そこには日本の変わらないもの、変り続けるもの両者があるように感じました。
「土俗」という言葉は、なぜか妙に強いひっかかりを残しました。
これまであまり意識したことのない日本語のような気がします。

もっとも興味を抱いていたのは
砂を数える」(1975~1989) と 「新・砂を数える」(1995~2004)の作品です。
これらの作品の ハザマに立ちはだかるのは 「バブル崩壊」 という時代の魔物。

バブル崩壊前に撮られたモノクロ写真の 「砂を数える」 では、
卒業式、祭りの日、見本市、パレードの沿道など
ひとつの行事や目的のために集まる人々が撮影されていました。
初詣、メーデー、夏のプール、市民マラソン、大喪の礼などでは
人・人・人、まさに砂粒を数えるような、画面にぎっしりの人の数。
モノクロの群集に心情的な 「濃さ」 を私は感じました。


土田氏の言葉によると、
「バブル崩壊後、群集の質が変った気がするね。
昔のように同じベクトルに向かうことがなくなった」

新・砂を数える」 は、バブルが崩壊した後1995年からの作品で、
撮影済みポジフィルムがデジタル変換された、色鮮やかなカラー写真でした。
デジタルであること、色調操作などのせいか どこか「つくりもの」っぽい様子。
最近人気のミニチュア写真のような印象すらありました。
砂丘、プール、海水浴、公園、お台場などに点在する人・人・人。
人と人の間に適度(?)な距離を保ちつつも、群がる人々。
それは、現代における人と人との関わり方や、時代の象徴でもあるかのようでした。
色鮮やかなカラー写真、にもかかわらず、そこに感じたのは 「薄さ」でした。

「どうして人は群れるんだろう?」
「安心だからじゃない?」
という、いつかの会話が頭の中でよみがえりました。

写真展を見終えた帰り道、
ガーデンプレイスからJR恵比寿駅へ繋がる動く歩道の群集にまぎれながら
今この群集は「駅に向かう」というひとつの目的のために前へ進んでいるのだなと
あらためて感じてしまいました。ほんの小さなベクトルですけどね。

人はどうして群がるのか?
まだまだ探究は つづきそうです。

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  1. 2008/01/27(日) 15:30:37|
  2. 写真
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  4. | コメント:2
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コメント

Re: 土田ヒロミのニッポン

ウーン。。。。。群れっていうのとは少し違うかもしれませんが、
バブル以降、皆が紺ブレ、着るような、
皆が聖子ちゃんカットするような、
右にならへの流行はなくなったような気がしますが、
なんとなく・・・日本人は群れるのが相変わらず
好きなような気がします。。。。^^。
難しいことはよく分かりませんが、
日本人が”神”の存在より、”人目”を気にする種族
だからかな?とも思ったりします。

群れたい・・・というより、
群れの中に居れば、とりあえず、
人並みには見える、一人じゃないって安心出来る。
「変わり者ねェ~」という声と、イチイチ
闘うのが面倒なので、とりあえずってな人も
いるような気がします。
これは、処世術のようなモノかな?

でも、アタシは基本的に群れるのが
あまり好きではありませんし、
そして、1人も好きですが、孤独はキライかな?(笑)。

群れてるだけだなって感じる瞬間は虚しいですね。
何かが、集結したって感じるのは、
すっごく、嬉しいけれど。。。。。
  1. 2008/01/30(水) 20:28:08 |
  2. URL |
  3. Roco #8iCOsRG2
  4. [ 編集]

Re: 土田ヒロミのニッポン

Rocoさん
ふむふむ、なるほどなぁ。
「日本人が”神”の存在より、”人目”を気にする種族」
というには考えさせられます。
たとえば、他人と同じモノを持っていたい、同じブランドを身に付けていたいなど「他者が何を持っているか、何をしているか」が、主体を動かすような風潮(それは流行ともいうのかもしれないけれど)は、けっして「独り」では起こりえないことで、やはりここでも「群れ」「集団」「大衆」という単位が前提になると思うのです。

Rocoさんが書いていらっしゃるように、
「群れの中に居れば、とりあえず、人並みには見える、一人じゃないって安心出来る。」っていうのも、まさにその通りだと思います。
ただ漠然と「群れる」こともあるだろうし、何かの意思や目的をもって「群れる」こともあると思います。

たとえ、一匹オオカミが好きだ、群れるのいやだ、であっても、それでもやはりニンゲンは、究極のところ誰かとつながっていたいんだと思います。だから「己」のみならず、「他」にむかって、言葉したり、唄ったり、書いたり、描いたり、走ったり、撮ったり、「表現」をするんだろうな、と。

あんまりうまく言えないんですが、
「動物の群れ」って美しいなぁ、とよく思うんですね。
渡り鳥にしろ、バッファロー、ゾウ、フラミンゴなどなど。
その美しい光景を見て、はたしてニンゲンの群れってこんなに美しいのかな?と思うことも。動物の場合みんな同じ形、同じ服着ているでしょ?(←正しくは服は着ていない、同じ毛皮!)ニンゲンの場合、みーんな違う衣装を身に付けて肌色を隠してしまっている。何か大切なものまで隠してしまうかのように。もう「裸のまま」では もはや生きることが出来ない。この裸ではない、ということからして、何か「フェイク」のはじまりのような気がすること も あるんですよ。
っていう反面、民族衣装の美しさ、洋服のデザインなどにもうかれている自分も実際いるわけでして。実に矛盾だらけです~。

桜の花が咲き始めると、桜のまわりに人が群がるでしょ?
ああいう「群がる」はなんだか好きなんですよね。
Rocoさんの「何かが、集結したって感じる」のも好きです。

あーん、支離滅裂です。Rocoさんへんなお返事でごめんなさうい~!
  1. 2008/01/30(水) 21:29:00 |
  2. URL |
  3. akiyasu_sukiyasu #TJwWj8Lg
  4. [ 編集]

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