まとまった雨が降りました。
私の中で雷が落ちました。
怒りっぽくなったようです。
うがー、オツボネまっしぐら?
気をつけようと思います。
水を増やして頭冷やそう。
まとまった雨があまり降っていません。
最近職場の屋上から写真を撮っています。
日常より、高いところ、空に近いところに行くと
万物の創造の神(いるとして)らしき存在を
ちょっとだけ強めに意識することもあります。
よいこともよくないことも、結局はプラスマイナスゼロだと
誰かが言ったのを頭の隅に置いております。
Knock,and it will be opened to you.
新約聖書では、「叩けよされば開かれん」
求めれば得られる、と言われます。
「叩いてみた」プラマイゼロと
「叩きはせず」のプラマイゼロ
どっちもアリなのかもしれません。
「激しく叩く」「静かに叩く」という選択も
「あえて叩かない」という選択も
アリなのではないか、と。
「求める」=「叩く」だけではないような気がするのです。
求めずして、自動ドアに変っちゃうこともあるし。
毎日傘が手放せません。
理由は「雨が降るから」「日差しが強いから」
全く反対のお天気の為に、傘が、手放してくれません。
「傘下」という言葉があります。
日々自分でさす傘とは別に
一体どれだけの「傘」が頭上にさしてあるのだろう、
と、ふと思うこともあります。
支配下 という意味でも、加護 という意味でも。
現像していないフィルム、何本ありますか?
「おくりびと」の脚本家として記憶に新しい小山薫堂さんの初めての小説『フィルム』の文庫巻末に
写真家・飯田安国さんとの対談「もう1本のフィルム」が収録されてあります。
小山さんの思惑通り、通常の「解説」よりもこの「対談」の方が、効果的だと感じました。
小説では、顔も知らない父親の遺品から現像しないままのフィルム1本が見つかるのですが
対談によると飯田さんの現像していないフィルム本数(フィルム貯金)は400本ぐらいだとか。
仕事や遊びが忙しく現像する暇がなかったのを放って、いつかまとめてやろうというつもりが
だんだん本数が増え、いつ撮ったかのかもわからなくなってきたのが面白くなったそうです。
現像して写真を見れば、いつどこで撮ったか思い出せる(だろう)、というもの。
確かにそういう面白さはあるような気がします。
私の場合は、現像していないフィルムは多くがカラーネガで、お店で現像なので
飯田さんの面白さとは異質であるとは思います。
自分で現像するとまた面白さが増すのだろうなぁ。
現像していないフィルム数本。どれも最近のものではなく、いつのだろうフジ12枚、さくらなど。
その外観、デザインから、おおよその年代は推定でき、その頃の情景も想像できます。
いつのだフィルムは、当然ですがミラクルな色の写真として仕上がってきます。
ちょっと前現像した十代の頃撮ったであろうフィルムは、ピンクの世界でした。
愛犬タロウもピンク色。ピンク色のビーグル犬もなかなかでございました。
撮ったものはすぐ見たい。カメラ屋さんへ直行コースが常でありますが、
意識的に現像しないままにしているフィルムもあったりします。
小山さん自身、現像しないで持っている1本のフィルムがあり
それが小説を書くひとつのきっかけになっているのだそうです。
touch wood
自慢等した後、Nemesis(義憤の女神)の祟りを避ける為、身近にある木に手を触れること。
何か良くない話や、誰かの愚痴、もしくは自分に対する愚痴などを人に話してしまった場合
運が逃げると考えられ、近くにある木または木製品に触ると、運を引き戻すことができるとか。
もし近くに木がなければ「touch wood」と言葉して、木のかわりに頭を触ればいいらしい。
木って、すごい。
これまで、木造の建物、廊下が常だったせいか、新しい棟の無機質な箱の中にいるとちょっぴり息苦しい。
撓りのない硬い廊下、化学の匂い、密閉される窓。現代ではごく当たり前の環境であるはずですけどね。。。
この部屋は先月まで存在して、今月はもうないもの。
もう実在しないけれど、写真に、記憶に残ったもの。
「ない」は「ある」。
http://orchestra.musicinfo.co.jp/~kyukyo/kyukyoFiles/CD/pilgrim.html
Author:akiyasu_sukiyasu
福岡在住です。改めてよろしくお願いいたします。